2007年02月16日

●ヒンデミット事件とクライバー一家(EJ第1467号)

 カルロス・クライバーはどのような指揮者なのか、その音楽は
なぜ注目されるのか、なぜ、公演回数が少ないのか――カルロス
・クライバーには数多くの疑問があります。今朝からひとつずつ
それらの謎を解いていきたいと思います。
 まず、カルロス・クライバーはどこの国の人なのでしょうか。
最初に答えをいうと、オーストリア人なのです。しかし、カルロ
スは、1930年にベルリンで誕生しています。カルロスの父親
で大指揮者のエーリッヒ・クライバーは、カルロスを自分と同じ
オーストリア人として出生届を出しています。そのときの名前は
「カール」だったのです。
 そのときドイツはナチス政権時代――エーリッヒはベルリン歌
劇場に職を得ていたのですが、多くの音楽家がそうであったよう
に、父親のエーリッヒはナチス政権に反旗を翻し、南米のブエノ
スアイレスに移住します。そしてそこでアルゼンチン国籍を取得
するのです。これに伴い息子の名前の「カール」はスペイン語の
「カルロス」に改められたのです。
 指揮者として有名になってからのカルロスは、ミュンヘン郊外
に居を構えており、仕事のほとんどはドイツからのものであった
にもかかわらず、ドイツ国籍を取ろうとせず、50歳になったと
きにオーストリア国籍に復帰しているのです。そのためか、カル
ロスはウィーンで好意的に見られているのです。
 さて、なぜ、父親のエーリッヒがナチス政権と決別してアルゼ
ンチンに移住したのかというと、それには有名な「ヒンデミット
事件」といわれる事件がからんでいるのです。
 ヒットラーを中心とするナチス政権は、1933年以降徹底し
たユダヤ人迫害政策のひとつとして、政治的側面のみならず芸術
的側面にもさまざまな破壊活動を行ったのです。そのナチス政権
によってその芸術を「頽廃」と決めつけられたドイツ人作曲家が
パウル・ヒンデミット(1895〜1963)だったのです。
 ヒンデミットは、優れたヴァイオリンやヴィオラの演奏家であ
り、作曲家であると同時に教育家でもあったのです。1927年
からはベルリン音楽大学で教鞭を取っていますし、のちに米国に
わたって、イェール大学の教授にもなっているのです。1953
年以降はスイスに移り住み、晩年はもっぱら指揮者として活躍し
来日公演も行っている人です。
 さて、ナチス政権が「頽廃」と極めつけたのは、ヒンデミット
の作曲した歌劇「画家マチス」だったのです。近年の研究による
と、マチスは「マチス・ナイトハルトまたはゴールドハルト」と
呼ばれており、「キリストの磔刑」などが代表作です。
 マチスは大司教に仕える画家でしたが、中世農民戦争に関わり
改革派に加担しているのです。歌劇では、自分の芸術とは誰のた
めのものかを自問する主人公の苦悩を中心に、権力と芸術との関
係に言及していたため、ナチス政権は気に入らなかったのです。
 ヒンデミットのこの歌劇「画家マチス」を上演しようとしたの
が、ベルリン・フィルの音楽監督であったフルトヴェングラーな
のです。しかし、歌劇場長官のゲーリングから上演禁止を命令さ
れます。
 これを知ったヒンデミットは、歌劇「画家マチス」を交響曲に
書き換えるのです。そして、1934年10月に交響曲「画家マ
チス」は、フルトヴェングラーの指揮によるベルリン・フィルに
よって初演され、大変な成功を収めたのです。
 それと同時にフルトヴェングラーは、1934年11月25日
付の「ドイチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥング」紙上に『ヒン
デミットの場合』という論説を書き、ヒンデミットを全面的に擁
護したのです。
 この反響は驚くべきものだったのです。新聞はたちまち売り切
れ、増刷をするほどだったというのです。この論説が発表された
日の午前中にベルリン・フィルの公開練習があったのですが、フ
ルトヴェングラーの勇気ある発言に感動した人たちが会場を埋め
尽くし、彼が姿を現すと、全員立ち上がって足を踏み鳴らしての
大拍手が20分間も止まらなかったといわれています。
 そして、その日の夕方、国立歌劇場でワーグナーの歌劇「トリ
スタンとイゾルデ」がフルトヴェングラー指揮によるベルリン・
フィルの演奏によって上演されたのです。そのときもフルトヴェ
ングラーが姿を現すと、午前中と同じことが起こったのです。
 そのときの模様をフルトヴェングラーの秘書であるガイスマー
は、次のように書いています。
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  切符は完全に売り切れてしまっており、ゲーリングもゲッペ
 ルスも共に各自の専用桟敷席に収まっていたが、フルトヴェン
 グラーがオーケストラ・ピットに姿を見せたとたん、朝のフィ
 ルハーモニーで起こったのと同じことが起こった。何者でも止
 めることのできぬ、あたかも永遠に続くかと思われるほどの拍
 手が劇場いっぱいに広がった。あの素晴らしい前奏曲が始まり
 憂愁につつまれた美しい雰囲気が作品をいっそう盛りあげて、
 それはすべての聴衆の心に深く浸透していった。終演後にもま
 た開演の時のような拍手の嵐が再現した ――ガイスマー著、
        筒井圭訳、『フルトヴェングラーと共に』より
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 ゲーリングとゲッペルスは、この事態に危機感を抱きます。そ
して、それをヒットラーに伝えます。その結果、フルトヴェング
ラーはベルリン・フィルを辞職します。彼のことですから、世界
各国のオケから誘いがかかったのですが、それらをすべて断り、
あえて、ドイツ国内にとどまったのです。「俺はこの国がどこに
行くのか、見極める必要がある」として・・・。
 エーリッヒ・クライバーは、フルトヴェングラーの考え方に公
式に賛同を示し、ベルリン歌劇場を辞職するのです。そして、家
族全員で、アルゼンチンに移住します。ヒンデミット事件は、ク
ライバー一家に大きな影響を与えたのです。明日は、カルロス・
クライバーがどのような指揮者なのかについて考えます。
                 −− [クライバー/02]

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posted by ここから at 04:46| Comment(0) | TrackBack(0) | クライバー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする