2007年03月06日

●応援歌づくりの名人/古関裕而(EJ第829号)

 作曲家/古関裕而(敬称略)――といってもピンとこないかも
知れません。とくに若い人はほとんど知らないでしょう。古関裕
而の作った曲はあまりにもたくさんありますが、次の3曲なら若
い人でも知っているでしょう。
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  1.「巨人軍の歌/闘魂こめて」
  2.「阪神タイガースの歌/六甲おろし」
  3.「全国高等学校野球大会の歌/栄冠は君に輝く」
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 このような応援歌を作らせたら、古関裕而の右に出る人はいな
いと思います。巨人と阪神の、しかもプロ野球の応援歌としては
最も有名な応援歌を同じ作曲家が作っているなんてとても珍しい
ことだと思います。
 それだけではないのです。古関裕而は早稲田大学と慶応義塾大
学の両方の応援歌を作っているのです。昨日のEJの最後の部分
で、古関裕而の葬儀に早稲田と慶応の応援団が駆けつけ、両校の
校旗が掲げられる中で出棺が行われたと書きましたが、彼が両校
の応援歌を作曲しているからなのです。
 最初に作ったのは、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」です。昭
和6年のことです。この歌は早慶戦のときに神宮球場のスタンド
でよく聞いたものですが、慶応側の人間もこの曲がいい曲である
ことを認めていて、一緒に歌っている者もいるぐらいです。
 この歌は、古関裕而の同郷の歌手伊藤久男のいとこが早稲田大
学の応援団をやっていた関係で、依頼されたものといわれていま
す。作詞は学生から募集して住治男という人の作品が選ばれてお
り、それに曲をつけたのです。
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       紺碧の空 仰ぐ日輪
       光輝あまねき 伝統のもと
       すぐりし精鋭 闘志は燃えて
       理想の王座を 占むる者われ等
       早稲田 早稲田 
       覇者 覇者 早稲田
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 「紺碧の空」ができた昭和6年当時、慶応義塾も新しい応援歌
を作って対抗しました。その歌は、橋本国彦(故人)の作曲で、
「ブルー・レッド・アンド・ブルー」といったのです。三色旗は
慶応義塾の校旗です。しかし、この春の早慶戦は「紺碧の空」を
歌った早稲田が勝利して「ブルー」は消えたのです。
 戦後になって、中断していた東京六大学リーグ戦が復活した昭
和21年のことです。早稲田大学の「紺碧の空」があまりにもい
い曲なので、慶応義塾大学の応援団が古関家を訪れて「ぜひ応援
歌を作って欲しい」と頼み込んだのです。
 古関裕而は早稲田大学の了解を取ることを条件に慶応義塾大学
の応援歌を作曲してくれたのです。曲が先にできて、あとから慶
応出身の藤浦洸(故人)が歌詞をハメこみ、完成したのが「我ぞ
覇者」なのです。
 この歌は4番まであり、4番は早慶戦用の応援歌になっていま
す。現在では4番だけが独立して歌われるようになっています。
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       よくぞ来たれり 好敵早稲田
       天日(てんじつ)のもとにぞ 戦かわん
       精鋭われに有り 力ぞあふれたり
       おお 打てよ砕け
       早稲田を倒せ
       慶応 慶応 慶応義塾
       叫べよ高く 覇者の名を
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 ついでに「六甲おろし/阪神タイガースの歌」のことも書いて
おきましよう。この歌は昭和11年に阪神球団から依頼されて作
曲され、中野忠晴という人の歌でレコードが作られていますが、
これは一般発売ではなかったのです。このときのタイトルは「大
阪タイガースの歌」で、B面はやはり古関裕而作曲の「大阪タイ
ガース行進曲」が収録されていたのです。
 「阪神タイガースの歌」は、阪神ファンの間にじわじわと浸透
し、やがて「六甲おろし」と呼ばれるようになったのです。1番
の歌詞の最初が「六甲おろしに 颯爽と」ではじまるところから
そう呼ばれるようになったのです。
 東京にいかに巨人ファンが多くてもカラオケで「闘魂こめて」
が歌われることはありませんが、関西ではカラオケで「六甲おろ
し」が歌われることはさほど珍しいことではないのです。そのく
らいこの歌は関西人に浸透しているのです。
 ところで、昨日のEJでご紹介した歌手の藍川由美さん―――
この人は声楽の分野でわが国初の学術博士号を取得した人なので
すが、古関裕而の研究家としても有名です。それに、藍川さんに
は「古関裕而歌曲集」というCDもあります。
 藍川さんはその著書『これでいいのか、にっぽんのうた』(文
春新書)の中で、古関裕而がこれほどの名曲をたくさん作曲して
いるのに、意外に日本の音楽界の中で評価が高くないことに疑問
に感じ、調べはじめたと書いています。
 古関裕而は、昭和4年に行われた英国の国際作曲コンクールで
堂々第2位を獲得しているという事実があるのですが、このこと
は日本の音楽史のどこにも記載はないとそうです。
 しかし、これは事実であり、これによって古関は、日本ではじ
めて国際的に認められたクラシックの作曲家ということになるの
です。日本の音楽ジャーナリズムは、東京音楽大学出身者以外は
音楽家として認めないという傾向があったのです。
                −− [軍歌と日本人/05]

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posted by ここから at 04:44| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本人と軍歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする