2007年03月16日

●オザワとウィーン・フィルの歴史(EJ第1014号)

 オザワがはじめてウィーン・フィルにデビューしたのは、19
66年8月のザルツブルグ音楽祭のときです。プログラムはシュ
ーベルトの交響曲第5番、シューマンのピアノ協奏曲(ソロはア
ルフレッド・ブレンデル)、ブラームスの交響曲第2番だったの
です。当時オザワは30歳の新進指揮者でした。
 ウィーン・フィルが新しい指揮者を起用するときは、いきなり
定期公演(年10回)に招くことはなく、とりあえずザルツブル
グ音楽祭でその実力のほどをテストするのがしきたりです。クラ
ウディオ・アバド、ズービン・メータも同様だったのです。
 これはウィーン・フィルに限ったことではないのですが、若い
指揮者はオーケストラから各種のいじめを受けます。わざと棒に
逆らった演奏をしてみたり、わざと間違えて反応を試してみたり
解釈に異議を唱えて指揮台で立往生させたり、いろいろやられる
そうです。伝統あるオーケストラにはそういう楽員が必ず何人か
いるのです。
 オザワは、1969年7月のザルツブルグ音楽祭で、ウィーン
・フィルを指揮してモーツァルトの歌劇「コシ・ファン・トゥッ
テ」を演奏しています。ウィーン・フィルとのオペラ初デビュー
です。しかし、このときは、声楽陣、演出・美術・衣装が冴えず
不評を買っています。これによって、オザワとウィーン・フィル
との関係は10年以上遠のくのです。
 1973年のシーズンからオザワはボストン交響楽団第13代
音楽監督に就任し、世界の音楽界での地位を向上させていったの
ですが、ウィーン・フィルを再び指揮したのは、1982年8月
のザルツブルグ音楽祭でのことです。このときは、ヨーヨー・マ
とハイドンのチェロ協奏曲第1番ハ長調、チャイコフスキーの交
響曲第4番などでした。
 そして、オザワとウィーン・フィルとの友好関係が完全に築か
れたのが、1984年5月のウィーン音楽祭での演奏なのです。
このとき演奏されたストラビンスキーの「春の祭典」が大きな賞
賛を博したからです。
 このときのオザワの逸話が伝わっています。オザワはウィーン
・フィルがかつて演奏した「春の祭典」のテープを繰り返し聴き
うまくいっていない部分を発見します。それは、ウィーン式管弦
楽器の構造や演奏者の不慣れに起因するそのオーケストラの泣き
所だったのです。
 オザワは、練習のさい、その部分から練習をはじめたところ、
ウィーン・フィルの楽員はそのオザワの下調べには舌を巻いたと
いわれます。そして、その結果、今でも語り草になるほどの歴史
に残る快演につながったのです。
 そして、1988年5月、オザワはウィーン国立歌劇場へのデ
ビューを果たします。作品は、チャイコフスキーの歌劇「エフゲ
ニー・オネーギン」です。この演奏も大成功で、ウィーンのオペ
ラ・ファンの間でオザワの評価は一気に上がったのです。
 このときオザワは、オペラの公演が終った深夜にザルツブルグ
に移動し、翌朝11時のベルリン・フィル・コンサートに備える
という超ハード・スケジュールをこなしています。
 そして、1989年の夏にカラヤンが亡くなるのです。カラヤ
ンはつねにオザワの良きアドバイザーとして、よく面倒を見てお
り、オザワはカラヤンを深く尊敬していたのです。カラヤン死す
との報が届いたとき、オザワはタングルウッド音楽祭で指揮をし
ていたのですが、オザワは1日だけザルツブルグに飛び、カラヤ
ンの追悼式に参加しています。そして、バッハの「アリア」を演
奏しているのです。
 カラヤンとオザワについてこんな話があります。1961年2
月にオザワははじめてベルリン・フィルを指揮しています。曲は
ブラームスの交響曲第1番だったのですが、その会場にはカラヤ
ンは姿を見せていたのです。
 演奏終了後、カラヤンはオザワを車で自宅に連れて行き、第1
楽章の冒頭から最終楽章のコーダまで、すべての小節について講
義をしたのです。「このフレーズは君の指揮に問題がある」とか
「これはオケがわるい」というように、すべての楽句、すべての
楽器について詳細に批評してみせたといわれます。その講義は、
実に3時間にも及んだのです。
 そして、1990年1月、ウィーン・フィルははじめてオザワ
を定期公演に招くのです。これは、オザワが名実ともにこのオー
ケストラからファミリーとしての待遇を得ることになったことを
意味しているのです。曲は、バルトークの「管弦楽のための協奏
曲」だったのです。
 ウィーン・フィルを初演して実に25年後にしてはじめて、ウ
ィーン・フィルはオザワを認めたことになります。そして、次の
年、1991年5月に、オザワとウィーン・フィルとの初レコー
ディングが行われます。曲はドヴォルザークの交響曲第9番「新
世界より」だったのです。ウィーン・フィルの場合、オケの方か
ら録音の申し入れが行われるのが普通のようです。
 レコーディングについては、不思議なことがひとつあります。
というのは、オザワは、ベートーヴェンとブラームスの交響曲全
集のCD録音をしていないことです。どうしてなのでしょうか。
 オザワがウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任した今年の9月
には、次期ベルリン・フィルの音楽監督が内定している英国生ま
れのサイモン・ラトルとウィーン・フィルによるベートーヴェン
の交響曲全集が発売されているのです。
 この企画はウィーン・フィルの方から提案があったそうですが
ラトルは「私でいいのか」と聞き返したといわれています。ラト
ルとしてはそれほど意外だったのでしょう。どうしてオザワには
そういう話がこないのでしょうか。それともオザワが時期を見て
いるのでしょうか。現在、CDショップでは、オザワとサイトウ
・キネン・オーケストラの「第9」が売れに売れています。
                 −− [小沢征爾論/04]

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posted by ここから at 05:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 小澤征爾論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする