2007年04月05日

●八切止夫意外史は注目に値する(EJ第920号)

 NHKの大河ドラマ「利家とまつ――加賀百万石物語」を見て
「本能寺の変」に興味が湧き、EJに書くことを前提に多くの本
や資料を真剣に読んでみました。
 そして、理解できたことは、現在われわれが知っている本能寺
の変は、『川角太閤記』や『信長公記』など、後年の権力者秀吉
の立場から書かれた文書をベースとしているという事実です。要
するに、秀吉にとって都合が悪いことはすべてカットされ、内容
がねじまげられており、真実は闇の中になっています。歴史とは
そういうものです。
 実は5月のはじめのことですが、次のような本を購入したので
す。そのときは、本能寺の変をEJで取り上げることはぜんぜん
考えていませんでした。
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   八切止夫著『信長殺し、光秀ではない』作品社刊
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 著者の八切止夫氏は故人であり、あとでわかったことですが、
歴史の世界で奇書といわれているものの復刻版だったのです。八
切氏には「八切意外史」全12巻というのがあるようで、上掲書
はその第1巻目の本だったのです。今から30年前の本ですが、
当時ベストセラーになったそうです。
 しかし、この本は話がいろいろなところに飛び、悪くいえば支
離滅裂で、良くいえば奇想天外――何をいいたいのかよく分から
ない本なので、途中で読むのを止めてしまったのです。しかし、
本能寺の変についてEJで取り上げるようになって、本気で読み
直して見ると、非常に重要なことが書かれていることがわかって
きたのです。
 今週発売の『週刊ポスト』8月16日号で、井沢元彦氏も取り
上げているのですが、八切氏はその本の中で、当時の鉄砲に使う
火薬の原料「硝石」についてふれているのです。多くの史書では
鉄砲という銃器の製造については言及しているものの、それに使
う火薬がマカオからの輸入に依存していた事実がまったく書かれ
ていないのです。
 「パソコンはソフトがなければタダの箱」といわれますが、鉄
砲も「火薬がなければタダの鉄棒」なのです。種子島が鉄砲の産
地であるとか、紀州の雑賀衆が鉄砲を量産していたという銃器の
生産の話はよく出ますが、火薬の話、ましてその原料の話などは
八切氏以外、誰もいっていなかったはずです。
 八切氏によると、当時の火薬の配合は、75%が輸入硝石(当
時の言葉では「煙硝」)に頼っていたのです。しかし、この硝石
は、あたかもマカオが原産地であるように見せかけていますが、
正しくはマカオは中継地に過ぎないのです。
 当時のポルトガルの商人は、火薬を輸出するに当たって、ヨー
ロッパやインドの払下げ品を集めてきて、マカオで新しい樽につ
めかえさせて、日本に輸出していたのです。そして、日本にはマ
カオが硝石の産地のように見せかけていたのです。信長はこれに
完全に騙されていて、彼は火薬確保のためにマカオを本気で攻め
落とすことも視野に入っていたと考えられます。
 当時マカオはポルトガル領であり、火薬商売だけでなく、ポル
トガルのカトリックのイエズス会の宗教セールスマンが宣教師と
してどんどん日本に入ってきていたのです。当然彼らは火薬を布
教の道具として使ったのです。当時は良質の火薬がなかなか入手
できなかったので、火薬欲しさに切支丹に帰依した大名も少なく
なかったのです。
 さて、井沢元彦氏によると、30年前は八切氏以外に火薬の原
料――硝石についてふれた歴史家はいなかったのに、現在はその
ことに触れていない人はいないと述べています。しかし、現在の
歴史家はことごとく八切氏を無視し、参考文献や引用資料に八切
止夫の名前はないのです。はじめは八切氏の説をこきおろしてお
きながら、それがどうやら正しいとわかると、だまってそれを引
用する――日本の歴史学者の悪いクセです。
 さて、八切氏は本能寺の変について意外なことをいっているの
です。2日の早暁に丹波の軍勢とみられる約1万3千の兵が本能
寺を取り囲んだのは事実なのですが、これを日本側の史料では、
予想外のこと――すなわち「異変」としているのに対し、本能寺
のすぐ近くにあった南蛮寺のイエズス会のポルトガル人の宣教師
たちは「通常の出来事」と考えていたというのです。
 というのは、信長はいつも少人数で出動し、それから1日か2
日で黒山のような軍隊を編成し、自ら引率して行動を開始するの
が通例である――と京にいるポルトガル人の宣教師たちは認識し
ていたといっているのです。そういうわけで、2日の早暁に約1
万3千の兵が本能寺を取り囲んでも彼らは「いつもの命令受領」
と考えていたようです。
 ところが軍勢が本能寺を包囲後数時間経過して、突然本能寺か
ら火の手があがったというのです。それはもの凄い火力で燃え上
がり、四方の民家に類焼しているのです。八切氏は、これは明ら
かに爆発であり、本能寺の中にいた者は一人残らず「髪の毛一筋
残さず」吹き飛ばされたといっているのです。もちろん、信長も
です。一体本能寺に何が起こったのでしょうか。
 実は、本能寺の地下に煙硝蔵(火薬庫)があって、それが爆発
したと考えられるのです。何によって爆発したのかについては明
日述べることにして、マカオから運び込まれた火薬の原料である
硝石は、本能寺の地下に納められ、そこから目的地に運ばれてい
たというのはどうやら事実なのです。この本能寺の煙硝蔵の存在
については、最近発刊された津本陽氏の『本能寺の変』(講談社
刊)でもふれられています。
 そうすると、本能寺の変とは一体何だったのでしょうか。本能
寺はなぜ爆発をしたのでしょうか。本能寺を取り囲んでいた軍隊
はどこの軍隊だったのでしょうか。
 昨日ご紹介した立花京子氏によると、信長暗殺にイエズス会が
深く関与していたのではないかと述べています。
                 −− [本能寺の変/08]

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posted by ここから at 05:04| Comment(0) | TrackBack(1) | 本能寺の変 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする