2007年04月06日

●朝廷は深く関与していた−−立花説(EJ第921号)

「信長を殺したのは誰か」――八切止夫氏のように「光秀は犯
人にあらず」とする説もありますが、本能寺の変のあとの光秀の
行動を考えると、光秀が実行犯であることは動かしようがない事
実であると思います。
 しかし、その動機となると諸説が乱立しています。定説として
は「怨恨説」「野望説」ですが、私が調べた限りでは、それらは
一番あり得ない説であると思います。動機に関しては今までEJ
で述べてきたところでは、次の2つがあります。
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  1.光秀/秀吉/家康3者共謀説
    実行犯/光秀 ・・・ 黒幕/秀吉/家康
  2.朝廷黒幕説
    実行犯/光秀 ・・・ 黒幕/正親町天皇、誠仁親王
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 殺人事件の犯人というものは、その動機が怨恨でない場合、そ
の人が死んで一番トクをする人物を疑えというのが常識です。結
果論として見ると、信長が死んでトクをした人物というと、やは
り天下を取った秀吉ということになります。しかし、秀吉が天下
を取れたのは、信長死去のあとの秀吉の判断と努力、それに加え
て彼の運の強さによるところが大きく、単に信長を殺せば天下が
取れたわけではないのです。
 それなら、家康はどうかというと、彼の場合は怨恨なら分かり
ますが、あの時点で天下取りを企てることは考えられなかったと
いえます。家康は、信長が死去したあとの戦略において秀吉に大
きく遅れをとっているからです。しかし、家康は秀吉に強い対抗
意識を持ち、その後も執念を燃やして、時期は遅れたものの結果
として天下を取るのです。そういう意味で、本能寺の変と関ヶ原
の戦いはつながっているといえます。
 このように考えていくと、光秀/秀吉/家康の3者共謀説は考
えられないことになります。それならば、2の朝廷黒幕説はどう
でしょうか。既に述べたように、朝廷も当時信長には相当の危機
感を抱いており、信長がいなくなって一番ほっとしたのは朝廷で
はないかと思います。しかし、現在、ほとんどの歴史学者は、こ
の朝廷黒幕説を否定しています。
 『逆説の日本史』の著者の井沢元彦氏は、朝礼黒幕説は十分考
えられるとしながらも、ある疑問が解決しない限り、その説には
乗れないと述べています。
 そのある疑問とは、本能寺の変のあと、天正10年6月9日付
で光秀が細川藤孝に出したという書簡――細川家文書として有名
――の内容に関するものです。光秀は藤孝に一緒にやってくれと
申し入れたのに、藤孝は髻を切って剃髪したということを聞き、
光秀は非常に腹を立てたけれども、よく考えてみればもっともな
ことだと考え直し、重ねて協力を要請したという内容です。
 井沢氏がいう疑問とは、その書簡で重ねて野心がないことを強
調しているけれども、もし、朝廷からの指示でやったものであれ
ば、そのことを書くはずなのに書いていない――それはおかしい
というものです。確かに、朝廷からの何らかの勅があれば自らに
野心のないことの何よりもの証明になるし、逆賊の汚名も着せら
れることはないのです。
 これに対して、歴史学者の立花京子氏は、その細川家文書はニ
セではないかという大胆な疑問を呈しています。立花氏はその細
川文書について次の3つのことを指摘しています。
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     1.花押が光秀本人のものではないこと
     2.光秀の字ではなく祐筆が書いている
     3.内容が弱々しく、光秀にそぐわない
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 立花氏は、細川藤孝が怪しいと考えているのです。光秀として
は、藤孝の息子である忠興のところに三女玉子が嫁に行っており
藤孝が同意しないのであれば、信長を討つことなどできなかった
のです。もし、藤孝が信長側に立っているならば、光秀は玉子を
犠牲にすることになるからです。したがって、藤孝は事前に光秀
に何らか合意を与えていたか、むしろ藤孝が光秀にクーデターを
仕掛けたとも考えられる――としているのです。
 立花氏は自ら『光秀文書目録』を作っているほどの光秀研究家
ですが、その目録を作るさい、光秀の花押を120個ほど集め、
そのかたちの変化でその年次比定ができる表を作成しています。
それによると、問題の細川家文書はZ型になるのですが、花押の
形はそうであっても他には絶対に見られない筆の太さがそこに現
れていると指摘しています。それに筆跡も光秀のものとは違うの
です。光秀の自筆は、もっと流れるような筆跡で、大変な達筆で
あるといっています。
 したがって、問題の細川家文書は、誰かが形を真似て作った偽
物ということになりますが、立花氏によると、犯人は藤孝自身で
はないかといっているのです。要するに、光秀は藤孝に乗せられ
て事件を起こし、そのあとハシゴを外されたのではないか、と立
花氏は推理しているのです。
 もちろん藤孝のバックには朝廷がいて、天皇、親王、前久、兼
見、晴豊たちは、信長暗殺に深くかかわっていたと立花氏は分析
しています。しかし、それを秀吉が知るところとなり、以後秀吉
に秘密を握られた朝廷は秀吉に何もいえなくなって、秀吉政権の
成立・全国制覇の事業達成を可能にさせることになる――これが
立花京子氏の推論です。多くの証拠を用意し、緻密に推論が積み
上げられ、非常に説得力がある所説であると思います。
 さて、本能寺の変の黒幕として、もうひとつ取り上げなければ
ならない黒幕がいるのです。それは、イエズス会です。立花氏は
そもそも信長の全国制覇にイエズス会が深くかかわっていたと述
べています。イエズス会とは何でしょうか。彼らは何を目的とし
て日本にきたのでしょうか。来週は、イエズス会から本能寺の変
を分析します。          −− [本能寺の変/09]

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posted by ここから at 04:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 本能寺の変 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする