2007年02月09日

●ドビュッシーとラヴェルの違い(EJ第1291号)

 ドビュッシーが優れたピアノの演奏家になれなかったのは、本
人の努力や資質もあるが、当時のパリ音楽院の指導方法にも原因
があったと青柳はいっています。ピアニストにとって、どの先生
に師事するのかはとても重要なのです。
 ドビュッシーは9歳でピアノをはじめていますが、ショパンの
弟子といわれるモーテ夫人に師事して、ショパンのピアにズムの
手ほどきを受けているのです。ところが、その1年後に入学した
パリ音楽院では、旧態依然たるクラヴサン(チェンバロ)時代の
指先に頼る奏法を指導されたのです。ここで、メトードの食い違
いが生じています。
 ショパンは、上流階級の子弟にピアノを教えていたので、彼の
画期的なメトードはプロフェッショナルな教育界にはまだ広がっ
ていなかったのです。また、教育界はどうしても今までの奏法に
こだわり、ショパンの革新的奏法には相当の抵抗感があって、そ
う簡単には受け入れなかったと思われます。
 しかし、そういう状況の下でも革新を目指そうとする演奏家は
いたのです。それは、ラヴェルより2歳年下で、ドビュッシーや
ラヴェルと同時期にパリ音楽院に学んでいたアルフレッド・コル
トーです。コルトーは、パリ音楽院の指先に頼る奏法に疑問を抱
き、ショパンの考え方を基調にして独自の奏法を編み出し、クー
プランのクラヴサン曲集などを次々とピアノ版に改訂していった
のです。そういう意味でコルトーは、フランス近代ピアノ奏法の
開発者と呼ぶのに相応しい存在なのです。
 そういうこともあって、ドビュッシーは次第に演奏よりも作曲
の方に傾注していったのですが、それは彼にとって正解であった
といえます。なぜなら、もし、ドビュッシーが演奏家を目指して
いたら、名を残すことはできなかったからです。
 このドビュッシーは、ラヴェルとともに印象派と呼ばれていま
す。19世紀末期になると、ヨーロッパの文化的中心はドイツか
らフランスへと移ります。1870年代のフランスの財政的崩壊
と不況の後、引き続き現れた繁栄の波が、パリに富と贅沢に満ち
た社会的風潮をもたらすにいたるのです。パリらしい洗練された
官能を持つ芸術性は、まず、モネやルノアール、ドガといった画
家たちの間で生まれ、彼らはロマン派の作風とは異なり、深遠で
情熱的な人生経験よりも、親しみやすい日常の出来事や光景を好
んで描写し、それは静かな淡い色調や、輪郭のあいまいさによっ
て表現されたのです。
 その作風は音楽界においても同様で、ドビュッシーやラヴェル
に代表される作曲家は、全音音階や中世の教会旋法、不協和音や
非機能和声などを用いて、音色の淡い、リズムのあいまいな印象
派音楽を確立させています。
 また、彼らは一見、標題音楽を受け継いだかのようにも見受け
られますが、ワーグナーやベルリオーズのように具体的内容を指
す主題を用いたり、内容の説明を楽譜に書き込んだりなどはして
いないのです。むしろ、「沈める寺」「水の反映」といった曲名
を付けて、それが示す光景の雰囲気を音で表現することを好んだ
というわけです。
 青柳いづみこは、ドビュッシーは美しいというよりも、背徳的
なことやデカタンス(退廃)の要素が多くあり、きわめて耽美主
義的であるといっています。青柳がこのことに気がついたのは、
彼女の祖父が、青柳瑞穂といって、詩人でフランス文学者であっ
た関係上、ジョイスの『ユリシーズ』やマルキド・サドなどの本
がたくさんあって、小学生の頃から、そういうものをよく読んで
いたからであるといっています。
 ドビュッシーの研究者として、大阪音楽大学で講義をしている
青柳が、インタビューで「ドビュッシーに会ってみたいか」と聞
かれて次のように答えています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 絶対にイヤですね。すごくイヤな奴だったらしいですよ。同じ
 日にいろいろな人へ手紙を送っているんですが、みんなに「僕
 のことを本当にわかってくれるのは君だけ」と書いてあるんで
 すよ。それから音楽的にはウソ泣きの名人ですね。好みもポリ
 シーもどんどん変わっていくのです。もう、真実はどこにある
 の?という感じ。それから盛り上がっているところで、必ず水
 を差してみんなを冷やす。イヤな奴でしょう?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そういうドビュッシーよりも13歳年下のラヴェルは、ピアノ
のウデこそドビュッシーよりも下でしたが、少なくともドビュッ
シーよりは、印象派風なピアにズムの開発には熱心であり、長じ
ていたといえます。よく「ドビュッシーやラヴェル」と一緒に名
前を並べますが、ドビュッシーとラヴェルは大きく異なります。
ラヴェルの音楽について、青柳は次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ラヴェルは、熱く燃えているものは持っているんだけど、それ
 を手にしようとすると、見えない壁があって中に入れてもらえ
 ないんです。いろいろなものが渦巻いているドビュッシーとは
 大違い。氷やドライアイスをさわるとやけどすることがありま
 すよね。ラヴェルはその感覚に近いです。秘められた情熱を持
 っているような音楽なのです。ですから、ドビュッシーとは同
 列にできないタイプの音楽なんですね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ラヴェルの音楽は、ひとことでいうと「抑制の極致」というべ
きなのです。感情を素直に表現するのではなく、考えていること
とは別のことをいったり、逆のことをしたりします。ですから、
その故意のいい落としや婉曲な表現について、演奏家は考え抜い
て解釈する必要があります。
 青柳によると、ラヴェルはドビュッシーよりはずっと「歌」の
ある作曲家なのですが、きわめて恥かしがりやである性格から、
そこに強い抑制が働くのです。したがって、抑制することが彼の
裏返しのロマンチシズムの発露といえるのです。
                −− [青柳いづみこ/07]

青柳いずみこ07
posted by ここから at 05:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 青柳いづみこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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