2007年02月14日

●バラードとは物語である(EJ第1293号)

 水の精に関わるピアノ曲で、もうひとつ取り上げるべき作品が
あります。それは、フレデリック・ショパンの次の作品です。
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    「バラード」第2番  ヘ長調 作品38
    「バラード」第3番 変イ長調 作品47
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 ショパンは4つの「バラード」を書いています。そのうち「バ
ラード」第1番は、映画『戦場のピアニスト』のクライマックス
・シーンでシュピルマンによって演奏されています。映画でこの
曲を聴いて、ショパンが好きになった人は多いようです。
 「バラード」とは、元来イタリア語で「物語」という意味なの
です。「物語」という以上、それはおそらく人の語るようなもの
を指していることは明らかです。ショパンは、この形式をピアノ
独奏ではじめて使った作曲家なのです。
 それでは、ここで語られる「物語」とはどのようなものなので
しょうか。
 ショパンの4つの「バラード」は、いずれもショパンと同郷の
詩人アダム・ミツキェヴィッチの『バラードとロマンス』の中の
詩に深い関連があるといわれているのです。中でも第2番と第3
番はいずれも「水の精」の物語であるとする説が強いのです。青
柳が、その著作『水の音楽』とそれに対応するCDの中に第2番
と第3番を取り上げているのはそのためです。
 青柳は、1975年のショパン・コンクールで優勝したポーラ
ンドのピアニスト、クリスティアン・ツィメルマンが、「バラー
ド」を収録したディスクの第2番のライナー・ノートの次の解説
をひっぱり出してきます。
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 シフィテシ湖上では乙女たちが夜踊り、昼には消えてしまいま
 す。彼女たちは一緒に踊るように少年たちを誘い、彼らを深い
 水底へと引き込んでしまうのです。    ――ツィメルマン
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 青柳は、はじめて「バラード」を演奏したとき、楽譜に書きつ
けられたこの神秘的な水の精の物語に胸をおどらせ、はるかリト
アニアの湖に思いをはせた経験があるといっています。だからと
いって、それによって演奏解釈が歪められたりはしないと明言し
ています。青柳自身は、とくに第2番、第3番の曲の印象は、ミ
ツキェヴィッチの詩の物語に、あまりにもぴったりであるからと
いっているのです。
 しかし、これには反対意見が多いのです。「バラード」は、標
題音楽ではないというのです。標題音楽というのは、あらかじめ
定められたプログラムがあり、作曲家がそれをできるだけ忠実に
音で表現しようとするものですが、ショパンはミツキェヴィッチ
の特定の詩に曲をつけるという考え方で「バラード」を作曲した
のではないという意見です。
 例えば、『ショパンを解く!』の著者、ブクレシュリエフは、
次のように述べています。
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  ショパンのバラードは「現実的」物語や「標題」とは関係が
 ない。何かを明らかにしようとする注釈者の努力など虚しい。
 情熱的な音を知ってもショパンの作品を語るにはやはり「抽象
 的」であることが肝要だ。
              ――アンドレ・ブクレシュリエフ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 確かに「バラード」は標題音楽とはいえませんが、純粋な絶対
音楽かというと、必ずしもそうとはいい切れないのです。それに
当時の時代背景も考慮に入れる必要があります。
 ショパンが「バラード」を作曲した当時はあらゆる芸術が「言
語」とみなされており、詩は言葉、彫刻は形態、音楽は音の言語
で表現するものと考えられていたのです。ロマン派時代には詩が
最高の芸術であるとされ、音楽は低く扱われていたのです。
 したがって、19世紀の聴衆はどんな器楽曲も勝手に「詩化」
して聴く習慣があり、とんでもない物語を捏造される恐れがあっ
たのです。それを防ぐため、リストは音楽に標題をつけることに
よって、聴衆のイメージを方向づけようとしたのです。現在では
どちらかというと絶対音楽の方が高く評価される傾向があります
が、ショパンが「バラード」を作曲した1830年代末から40
年代は、そのどちらの概念も存在していないのです。
 確かに、ショパンは、作品に文学的「標題」を冠し、音によっ
て情景を描く手法を嫌っていたのです。しかし、ショパンはミツ
キェヴィッチやハイネと親しく付き合っており、彼らの詩に深い
共鳴を覚えていたこともわかっています。したがって、標題音楽
ではないが、詩にインスピレーションを感じて作曲したというこ
とは十分あり得るのです。
 「バラード」第2番はドラマチック、第3番は優雅なロココ調
に満ちた曲ですが、ひとつだけ共通するところがあります。それ
はミツキェヴィッチのバラードにみられる水とそれを象徴する水
の精の変容――最初は穏やかであるのに突如として豹変し、人間
を水底にひっぱり込む突然の変容――なのです。これは、「夜の
ガスパール」のオンディーヌとも共通する点といえます。それは
実際に曲を聴いていただければ明らかなことです。
 水の精からアプローチした作家ピアニスト/青柳いづみこの音
楽論――いかがでしたか。2月1日から9回にわたってお送りし
ましたが、これで終わります。
 実際に音楽を聴いてみたいという方は、ぜひ青柳いづみこの次
のCDの購入をお勧めします。EJで取り上げたほとんどの曲が
青柳いづみこ自身のピアノ演奏で聴くことができます。
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   ピアノ演奏/青柳いづみこ
   『水の音楽』/KICC363/キングレコード
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                −− [青柳いづみこ/09]

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posted by ここから at 04:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 青柳いづみこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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