2007年02月15日

●指揮台に立つのが事件といわれる指揮者(EJ第1466号)

 2004年7月13日――カルロス・クライバーという高名な
指揮者がその74年の生涯を閉じています。この指揮者、近年ほ
とんど演奏をやっておらず、クラシック音楽ファンでなければ、
名前を知らない人も多いかも知れません。
 しかし、実演にせよ、ビデオにせよ、CDにせよ、一度でも彼
の指揮する音楽を聴いた人であれば、忘れることのできない鮮烈
な印象を与える指揮者であるといえます。
 指揮者というのはオーケストラで唯一楽器を演奏しない音楽家
です。したがって、たとえば、ベートーヴェンの交響曲第5番ロ
短調「運命」を何人かの指揮者の演奏で聴き比べても、少なくと
も音楽の素人には、そこにはっきりとした違いを見つけられない
ことはよくあることです。
 しかし、カルロス・クライバーの場合は違うのです。たとえば
彼の指揮した「運命」は、音楽にあまり詳しくない素人が聴いて
も、明らかに他の指揮者との違いを感ずるはずです。クライバー
はそれほど凄い指揮者であるといえます。したがって、カルロス
・クライバーの死は、一般の音楽ファンにとっても大きなニュー
スであり、EJのテーマとして彼の音楽論を取り上げる価値はあ
ると思います。
 それはさておき、指揮者といえば、新聞などで報じられていな
いあるニュースがあります。2004年10月23日(土)にN
響のAチクルスの演奏会があったのです。N響は、この秋のシー
ズンから、新音楽監督にウラディーミル・アシュケナージが就任
しているのですが、23日はそのアシュケナージがAチクルスに
はじめて登場したのです。演奏曲目は次の通りです。
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 ≪ウラディーミル・アシュケナージ音楽監督就任記念≫
  チャイコフスキー/交響曲 第3番 二長調 作品29
  チャイコフスキー/交響曲 第4番 ヘ短調 作品36
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 ところが、開演直前の午後5時56分に第1回目の地震があっ
たのです。この地震は東京でも相当揺れたので、N響側としては
開演を10分程度遅らせたのです。そして、第1曲目がはじまっ
たのですが、午後6時30分過ぎにも地震が起こっています。
 演奏は何事もなく進められましたが、あとから考えると指揮者
のアシュケナージの様子は、左手をかばうように動かさないなど
どことなくおかしかったのです。その後も何度か余震はありまし
たが、とにかく第1曲目は無事に終了したのです。
 しかし、アシュケナージは地震のショックによって、指揮棒で
左手の手のひらを突き刺し、裂傷を負っていたのです。そのため
アシュケナージは1曲目が終了すると直ちに病院に運ばれ、第2
曲目はコンサート・マスターの指揮で行われたのです。
 このようなことは、普通の音楽会では起こりえないことです。
しかし、それがN響の定期公演で起こったのです。新音楽監督の
アシュケナージにとって何とも不幸なスタートとなってしまった
ようです。どうも今年のNHKはついていないと思います。
 カルロス・クライバーの話に戻ります。こういう高名な音楽家
が亡くなると、CDショップでは、追悼イベントが行われるのが
つねですが、クライバーの場合、非常に遺した作品が少ないので
す。とにかくクライバーは、指揮台に立つこと自体が「事件」と
して騒がれるほど公演回数が少なかったので、ビデオやCDで聴
ける作品は数えるほどしかないのです。
 このカルロス・クライバーのことを評して、かのヘルベルト・
フォン・カラヤンは次のようにいっています。
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  この芸術家が音楽することを楽しむ機会があまりにも少ない
 のは残念。彼が指揮するのは冷蔵庫の中身を補充する必要に迫
 られたときだけだ。   ――ヘルベルト・フォン・カラヤン
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 カラヤンとクライバーはあまり親しくはないのです。カラヤン
は、生前クライバーをただの一度もベルリン・フィルに招くこと
はなかったといわれています。おそらくカラヤンは誰よりもクラ
イバーの天才ぶりを熟知しており、自分の影が薄くなるのを恐れ
たのではないかといわれているのです。
 しかし、クライバーの方はカラヤンを尊敬していたのです。こ
んな話があります。カラヤンがザルツブルグ・イースター音楽祭
において指揮する「ニーベルングの指輪」の「ジークフリート」
をリハーサルしたとき、クライバーは14日間も勉強のために客
席に座り続けていたというのです。そのとき、既にクライバーは
指揮者として大成していたのですが、彼は文字通りカラヤンのリ
ハーサルから何かを学ぼうとしていたのです。
 カルロス・クライバーは、日本が非常に気に入ったらしく、全
部で5回の来日公演を行っています。これを見ると、日本におけ
る公演回数は非常に多く、日本の音楽ファンは恵まれていたとい
えます。彼はこれ以外にもお忍びで2回も来日しているのです。
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 1.1974年 バイエルン国立歌劇場 ・・・・  4公演
 2.1981年 ミラノ・スカラ座 ・・・・・・ 10公演
 3.1986年 バイエルン国立管弦楽団 ・・・  8公演
 4.1988年 ミラノ・スカラ座 ・・・・・・  6公演
 5.1994年 ウィーン国立歌劇場 ・・・・・  6公演
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                 −− [クライバー/01]


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posted by ここから at 04:54| Comment(0) | TrackBack(0) | クライバー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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