2007年03月07日

●情感あふれる古関裕而の軍歌(EJ第830号)

 藍川由美氏の指摘によると、昭和のヒトケタの時代には、中山
晋平の「波浮の港」「東京行進曲」「東京音頭」「天龍下れば」
などや古賀政男の「影を慕ひて」「酒は涙か嘆息か」「丘を越え
て」が一世を風靡し、昭和フタケタに入ると古関裕而や服部良一
が登場するのです。
 ところで中山晋平といえば、東京音楽学校を卒業したわが国の
クラシック音楽の総本山とされている人ですが、古関裕而は福島
商業学校卒で正式に音楽教育を受けておらず、独学で作曲を勉強
したのです。
 その古関裕而が、福島商業学校の5年生の夏から翌年の5月に
かけて作曲したオーケストラの作品が昭和4年の英国国際作曲コ
ンクールで第2位に輝いたというのですから、それは日本の音楽
史上の快挙というべきものです。
 しかし、藍川由美氏の指摘によると、その快挙が事実であるに
もかかわらず、堀内敬三の『音楽50年史』、中島健蔵の『証言
・現代音楽の歩み』には一切記載されていないのです。
 古関裕而は日本の音楽界にまったく後ろ盾がなく、独学でもあ
るので、東京音楽学校のメンツを重んじようとしたのか、それと
も国内の著名音楽家に遠慮したのか、この快挙が報道されること
はなかったのです。日本の音楽界は、古関のような在野の音楽家
を冷淡に扱う傾向が強かったことを藍川氏は指摘しています。
 古関裕而のオーケストラの作品がいかに素晴らしいかは、今で
もNHKがスポーツ放送のテーマ曲にしている「スポーツ・ショ
ウ行進曲」や、昭和39年、55歳のときに作曲した東京五輪用
の「オリンピック・マーチ」を聴けば明らかです。
 とくに「オリンピック・マーチ」は古関裕而の天分がいかんな
く発揮された名曲であり、世界中から、誰の作曲かという問い合
わせがNHKに相次いだといいます。そして、いつしか古関は、
「日本のスーザ」といわれるようになったのです。それなのに、
いまだに古関裕而の業績は高く評価されていないのです。
 軍歌の話からかなり脱線してきているようですが、国民歌謡や
時局歌謡(軍歌)は、そのまま校歌や応援歌につながってくる歌
であり、その根は同じものというべきです。そういう意味で古関
裕而も数多くの軍歌を作っているのです。
 その中でもとくに有名であり、名作といわれるものをいくつか
上げ、最初の歌い出しを書いておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.露営の歌 ・・・・・・ 勝ってくるぞと勇ましく
  2.暁に祈る ・・・・・・ ああ あの顔で あの声で
  3.若鷲の歌 ・・・・・・ 若い 血潮の 予科練の
  4.ラバウル海軍航空隊 ・ 銀翼つらねて 南の前線
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 おそらく現在60歳以上の人であれば、最初の歌い出しを見れ
ば自然にメロディが出てくるはずです。それほど何回も聞いたし
聞かされた歌なのです。しかし、それ以上にこれらの歌が質的に
良かったからこそ、記憶に残ったのです。
 この中でとくに印象的なのは「露営の歌」です。この歌は、昭
和12年7月に支那事変がはじまったときに、東京日日・大阪毎
日新聞社(現在の毎日新聞社)が時局歌を募集したところ次点に
なった歌詞に基づいて作られたのです。ちなみに一等当選歌は、
「進軍の歌」であり、これは陸軍戸山学校軍楽隊が曲をつけ、次
点は古関裕而に作曲が委嘱されたのです。
 そのとき古関裕而は満州を旅行中だったのですが、電報で急遽
呼び戻されたのです。古関は下関で買った新聞で「露営の歌」の
歌詞を知り、下関から東京に戻る汽車の中で曲を作り、東京に着
いたときにはできていたという逸話が残っているのです。
 このときの選者のひとりに北原白秋がいたのですが、北原はこ
の「露営の歌」を評して、「うまく曲がつけば第二の『戦友』に
なるだろう」と評しているのを知り、古関は「それなら・・」と
車中にもかかわらず曲をつけたといっています。
 第1位の「進軍の歌」は、いかにも軍歌らしく武張った印象で
あるのに対して、「露営の歌」は戦陣に在って生きていくことの
実感と感慨とをにじませたヒューマンな、もののあわれに通じる
感傷性がみなぎっている良い歌です。
 「露営の歌」は5番までありますが、3番は少しトーンを落と
して歌うよう古関は指定しています。3番の歌詞を紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    弾丸(たま)もタンクも 銃剣も
    暫し露営の草枕
    夢に出てきた 父上に
    死んで還れと 励まされ
    さめて睨むは 敵の空
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 一般的に軍歌というと、行進曲風のいかにも士気を鼓舞する押
しつけ的な曲想が多いものですが、古関の曲の場合、行進曲風で
ありながら、そこに豊かな情感というものが感じられるのです。
それが何度歌っても飽きがこない音楽となっているのです。「露
営の歌」もそういう歌のひとつです。
 また、同じ行進曲でも単に勇ましいものから、希望が湧いてく
るものまでいろいろありますが、古関の行進曲風の曲には弾むよ
うなリズムがあって、しかも情感にあふれ、それが素直にやる気
を起こさせる原動力になっているものが多いのです。
 その典型的な歌に、戦後菊田一夫と組んで作ったドラマ「鐘の
鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」があります。これは、もとも
と戦災孤児を励まそうと、米国の占領軍が企画して菊田一夫にド
ラマの制作を依頼してできたものなのです。「緑の丘の 赤い屋
根 とんがり帽子の時計台・・・」ではじまる歌です。
 このドラマの主題歌がどんなに当時の子どもたちの力になった
か、印象に残ったか、現在50歳以上の人ならきっとわかると思
います。            −− [軍歌と日本人/06]

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posted by ここから at 05:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本人と軍歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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