2007年03月14日

●ウィーン歌劇場は伏魔殿である(EJ第1012号)

 小澤征爾の正式な職名は、「ウィーン国立歌劇場音楽監督」と
いうものです。これと、ウィーン・フィルハーモニー(以下、ウ
ィーン・フィル)とはどういう関係にあるのでしょうか。
 ウィーン・フィルのメンバーは、すべてウィーン国立歌劇場の
楽団員です。もっと、具体的にいうと、ウィーン国立歌劇場付属
の管弦楽団なのです。いうまでもないことながら、演奏する曲は
オペラに限られます。
 しかし、世界有数の演奏家たちを抱えるオーケストラですから
オペラしか演奏しないのはあまりにも、もったいない話です。そ
こで、オペラ以外の曲も演奏することになり、そのときだけ、オ
ーケストラの名前をウィーン・フィルハーモニーと名づけること
にしたのです。
 しかし、このオーケストラ――本当に超保守的にして、超閉鎖
的なオーケストラなのです。それは、「自分たちのスタイル」に
非常に強いこだわりを持っているからです。
 その「自分たちのスタイル」をあらわすのが、次のような基本
ルールの存在です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.音楽監督や常任指揮者を置かない
  2.ウィーン音楽院出身の演奏家しか採用しない
  3.女性演奏家は採用しない
  4.使用する楽器は、オーストリア製のものを貸与する
  5.現在のメンバーに直接指導を受けたものを採用する
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これらの基本ルールは、長い年月の間に少しずつ崩れてはいま
すが、基本線は守られているのです。
 このように書くと、「音楽監督を置かないといっているけど、
オザワがいるじゃないか」と不審に思う人もいるかも知れません
ね。ややこしい話なのですが、小澤征爾はウィーン歌劇場の音楽
監督であって、ウィーン・フィルの音楽監督ではないのです。し
かし、メンバーは同じなのですが・・・。
 ですから、ニューイヤーコンサートの指揮者選びなどについて
は、オザワには何の権限もないのです。このことをアタマに置く
と、このオーケストラの性格がよくわかると思います。
 このたびオザワが手にしたウィーン国立歌劇場音楽監督という
地位がどのような地位であるか――少していねいに検証してみる
ことにしましょう。
 歌劇場にはランクがあります。音楽関係者に聞くと、必ず次の
2つをあげます。歌劇場の双璧というわけです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.ウィーン国立歌劇場 ・・・ ドイツ・オーストリア
 2.ミラノ・ スカラ座 ・・・ イタリア
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 もちろん、これに異論のある人もいて、次のどちらかを加えて
3大歌劇場とすべきだという人もいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 3.コヴェントガーデン国立歌劇場 ・・・ イギリス
 3.メトロポリタン歌劇場 ・・・・・・・ アメリカ
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 しかし、歴史と伝統、音楽監督、指揮者、演出家の顔ぶれ、登
場した歌手たちのレベルという要素を勘案すると、「首位が2つ
あって3位なし」ということになってしまうのです。
 ドイツ・オーストリアには、モーツァルト、ワーグナー、リヒ
ャルト・シュトラウスなどの名作がめじろ押しであるし、イタリ
アは、ロッシーニ、ヴェルディ、プッチーニをはじめとして、綺
羅星のごとく有名な作曲家群がいるのです。これには、イギリス
やアメリカも対抗不能です。
 ドイツ・オーストリア、イタリアは、それぞれの母国語のオペ
ラだけでもプログラムが組めるのです。それに加えて、ドイツに
しても、オーストリアにしても、イタリアにしても、優れた客層
――質の高い鑑賞眼を持ち、優れた耳を持つ客層がおり、それに
公正な評論家とそれを正しく伝えるメディアが、歌劇場の水準の
維持、向上に貢献しているのです。
 この点日本にはオザワのような傑出した音楽家はいるにしても
肝心の客層が育っていないことを痛感します。これは、私がクラ
シック・コンサートに通い出してから、40年以上になりますが
いつも痛ずることです。
 このように考えると、ウィーン国立歌劇場は、ミラノ・スカラ
座とともに歌劇場の双璧であるといえるでしょう。オザワは、そ
の一方の音楽監督なのです。これは、大変な地位であるとともに
その地位を維持し、長く続けるのがいかに大変であるかは歴史が
物語っているのです。
 ウィーン国立歌劇場の音楽監督の地位に就いた指揮者を上げる
と、グスタフ・マーラー、ワインガルトナー、シャルク、リヒャ
ルト・シュトラウス、クレメンス・クラウス、ベーム、カラヤン
マゼール、アバドなど、指揮界の巨匠の名がずらりと出てくるの
です。しかし、ほとんどは、ごく短期間でその名誉ある地位を投
げ出し、あるいは放逐されているのです。それほど、この地位を
守り抜くことは難しいのです。
 この中にあって、もっとも長くその地位にあり、帝王といわれ
たあのカラヤンでさえ、「二度とこの街で指揮棒をとるつもりは
ない」という捨て台詞を残して、ウィーン国立歌劇場音楽監督の
座を降りているのをみても、オザワの手に入れた地位の維持は難
しいのです。
 日本の外務省のことではありませんが、歌劇場は「伏魔殿」と
いわれています。中野氏の表現によれば、権力と金と、愛欲の色
模様が華やかな舞台裏に展開し、指揮者、演出家、歌手などが芸
術家人生を賭けて競う合う場――まるでオペラそのもの――であ
るからです。しかし、私はオザワが何かをやってくれることを信
じてはいますが・・・。      −− [小沢征爾論/02]

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posted by ここから at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 小澤征爾論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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